平和記念公園でボランティアガイドをしている佐々木駿くん(9)
いったい何者なの?
どうしてあんなに英語が上手なの??
というお声をあちこちからいただいていますので、ご本人の許可のもと、出せる範囲でご紹介いたします。
佐々木 駿くんについて
佐々木駿くんは広島県広島市在住の9歳、ごく普通の公立小学校に通う4年生です。
英語の習得について
「駿くんは帰国子女に違いない!」と思われている方も多いと思いますが
なんと留学はおろか、海外に行ったことは一度もありません!
しかもご両親は共に英語が苦手なごく普通の日本人家庭で育ち、
通っているのはごく普通の公立小学校です。
ではどのように英語を身につけたのか?
それは0歳7か月の時から幼児向け英語教材 ディズニー英語システム(DWE)を使って英語で遊んで育ったからです。
論より証拠で、こちらの成長記録ビデオを見てください(提供:お母さま)
まだホッゲホゲの赤ちゃんの時から聞いているのが ディズニー英語システム(DWE)の英語の歌です。これはアメリカ人の子供たちが日常生活で使う単語やフレーズ、文法が正しい発音やイントネーションと共にそのままに歌になっていて、この歌を覚えれば正しい英語が自然に身につきます。
DWEユーザーの子供たちはおうちの中で、この歌をひたすらかけ流しします。するとそのうちマネしだして、いつの間にか歌えるようになってくるのです。
赤ちゃん(・@・)駿くんも、はじめはマネしてもなかなか歌えてないのに、だんだんと上手になっていくのがものすごくカワイイですね! ・∀・ソーデスネ!
そして2歳6か月の時には "nose"、"ears"と英単語をハッキリ発語できていて
(;゚ロ゚) エッ!
3歳3か月の時には "It's chocolate!" と文章で話せていました!
(゚口゚;)スゴイッス
それからわずか半年。
3歳10か月の頃には、ご覧いただいた通りもう既にペラペラでした!
( ;゚д)ザワ(;゚д゚;)ザワ(д゚; )
こんな感じで6歳になる頃にはもう自由自在に、
思ったことは何でも英語でお話しできるようになっていたそうです!
ちなみに途中に出てくる外国人はワールド・ファミリー・クラブという、DWEユーザーの為の英語の先生です。
英語イベントで楽しくお話ししている様子ですね・∀・
平和記念公園でボランティアガイドをはじめた理由
そんなこんなで英語がペラペラになった駿くん
はじめは単純に「たくさんの外国人と英語で話したい!」という動機で、平和記念公園を訪れている外国人観光客を見つけては自分から話しかけて、ただの世間話をしていました。
それでもまだ小さな子供が相手なので、みんなとても優しく対応してくれてたそうです。
一方で当然のように「原爆」の話題を振られることが多いものの、知識が乏しくうまく話せないことが悔しかったそうです。
そこで実際に広島平和記念資料館で外国人用の英語音声ガイドで館内を見学し、英語での説明方法の参考にしたり、
本やインターネットで気になることを調べて自分なりに知識を深め、公園内のことはだいたい説明できるようになりました。
そんな活動をしばらく続けていた頃、そのことをおじいちゃんに話してみると衝撃の事実がッ!
なんと、駿くんのひいおばあちゃんが被爆者だったと聞かされたのです。
駿くんのひいおばあちゃんは、駿くんが生まれる前に既にお亡くなりになっていたのでその存在を直に感じることがありませんでした。しかし、おじいちゃんからひいおばあちゃんが体験したことを聞くにつれて広島の原爆についてますます当事者意識を持って考えられるようになったそうです。
そして「二度と同じ過ちを繰り返してはならない」と決意し、平和記念公園で戦争の悲惨さを伝えるボランティアガイドをはじめたのです。
ただ、駿くんは言います。
「戦争の話をするとやっぱり気持ちが暗くなる。せっかく観光で日本に来てくれたんだから、楽しい思い出も持って帰ってほしい!」
そんな言葉どおり、話を聞いてくれた外国人観光客には、ジョークを言ったり、手作りのお土産を渡して、最後は笑いあって別れることを心掛けているそうです!
(;゚ロ゚) キヅカイ!
その辺は、また今度取材してきますね~!
平和の願いをこめた駿くんの折り鶴と。
おしまいっ!
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